「かさぎ」と聞いてピンとくる方は、あまり多くはないかもしれません。
笠置山のある笠置町は、京都府の最南端、奈良市と接しています。
笠置山自然公園は「日本のさくら名所100選」に数えられており、京都府下でほかに該当するのは「嵐山」や「醍醐寺」などの超有名どころ。
知名度では及びませんが、夕方のNHK京都ローカルのニュースでも開花情報が取り上げられる名所です。
笠置山自体は標高300m弱の低山ですが、麓の木津川の河岸から山上にかけて桜が植えられており、吉野に匹敵……とまでは言えませんが、なかなか壮観です。
そうそう、吉野と言えば、南北朝時代のさきがけとなったのは後醍醐天皇。
鎌倉幕府の倒幕を目論んで挙兵し(元弘の乱/1331年)、ここ笠置山で籠城しました。
長い騒乱の末、吉野に南朝が開かれ、南北朝時代の幕開けへと繋がっていきます。
笠置山自体の歴史は、後醍醐天皇の時代よりもさらに古く、山中の笠置寺からは弥生時代の石剣が出土しているなど、人の営みがありました。
笠置寺は山の上にある真言宗智山派の寺院で、山内を取り巻く修行道には、いくつもの巨岩がそびえています。
お寺の入口までに軽いハイキングが必要ですが、京都市内に比べれば訪れる人も少なく、ゆったりと時間が流れています。
なにより、自分自身が小さくなったようにも感じる巨岩群と、その絶壁から見下ろす山並みや雄大な木津川の流れは、どこか日本離れしているようにも感じられます。
笠置の名は、西暦680年代、天智天皇の皇子である「大友皇子」が鹿狩りでこの辺りを訪れた際、乗っていた馬が急な崖に立ちすくんでしまったため、山の神へ「弥勒仏の像を刻むから、どうか助けてください」と念じました。
皇子は助かり、願いに応えてもらった場所を覚えておくため、近くにあった石に「笠を置いた」故事が由来とされています。
笠置寺では、笠を置いた後、大友皇子が戻ってきて彫った(彫らせた/彫られた……諸説あり)巨大な弥勒菩薩を今も本尊としています。
残念ながら、仏そのものは既に後年の騒乱によって失われてしまいましたが、今も巨大な後背の形が、往年の姿を静かに物語っています。
そんな歴史の舞台、笠置町は人口わずか950名。
現在、京都府下で一番小さい(人口の少ない)町となっています。
ちなみに、全国で見ても二番目(一番は山梨県早川町/原発事故の影響を受けている福島県を除く)の規模です。
一方、東隣には京都府下唯一の村・南山城村がありますが、こちらは人口2,100名と笠置町の倍以上。
この「町と村の関係」は、調べていくと奥が深いので、またの機会に。
笠置町は、地形的な特質として(笠置山上だけでなく)山腹や河原にも「巨石」「巨岩」が多く、近年はボルダリングやクライミングのフィールドとして有名になっています。
また、それらに接する木津川河畔のキャンプ場も人気があり、いつも賑わっています。
木津川と共に町を東西に貫くのはJR関西本線と国道163号線。
特にJRは、大阪駅から奈良へ直通する「大和路快速」の終点・加茂駅の一つ隣に位置する「笠置駅」が玄関口で、交通の便が良い……と言いたいところ、一時間に一本、たった一両の列車がトコトコ進むローカル線の風情満点です。
駅を出れば、こじんまりした旧街道の道筋に、数件のカフェと商店が並んでいます。
大阪・京都からたった1時間半でこんな景色に出会えるなんて!と思えること請け合い。インバウンドでごった返す京都市内の喧騒を忘れに、足をのばしてみてはいかがでしょうか。