景観の火薬庫

日本一厳しい高さ規制を誇る京都市。市街地でも大通り沿いを除くと、広い範囲でたったの15メートル(概ね5階建て)までしか許容されていないなかったり、屋外広告の要件がやたら厳しく、企業も当局の言いなりだったり。

今号は、触れると危ない京都の景観に切り込みます。

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■ 京都3大景観論争

京都は景観論争と縁が深く、終わりなき戦いが続くまさに「景観の火薬庫」。
とりわけ代表的な事例を概観してみましょう。

・京都タワー
日本初の景観論争を巻き起こしたともいわれる、まさに「景観論争の父」です。
ちなみに、当初から色々無理があったようで、法的にタワーは建物ではなく、工作物扱い。展望室だけが、宙に浮かんだ建築物扱い。早くもきな臭いですね。

計画が打ち出された際、さっそく各界の著名人が猛反発。建設反対の署名運動には川端康成やら谷崎潤一郎やら、そうそうたるメンバーが並びました。
当時の京都市民131万人にちなんだ「高さ131m」設計もむなしく、市民からも反発を食らう始末。

しかし、その内実は「景観とは何か」といったマクロな視点が抜け落ちた、感情的批判の応酬であったと伝えられます。
経済界・財界VS文化人・市民という「不変の対立構図」と、最終的には反対意見を押し切り(というか、無視)建設強行の上、既成事実化に漕ぎ着けるという「華麗な局面打開策」は、早くもニッポンの景観論争の『型』を決定づけたとも言えます。

ちなみに、京都タワーのあの独特の形状は、寺のろうそくに見立てたとの俗説が有名ですが、実は「灯台」です。町家の瓦ぶきを波に見立て、海のない京都の街を照らしているのでございます。

・京都ホテル(現在の京都ホテルオークラ)
総合設計制度なる裏技(?)を駆使して建築された建物です。高さ58mは京都タワー、駅に次いで堂々の第三位(洛中では)。

このホテル、特に仏教界からの反発がすさまじく、論争最盛期には各寺院に「京都ホテル宿泊者の参拝お断り!」の札まで立てられる始末。これがあまりに強烈だったので、裏技をやめて45m(正規の高さ制限・当時)にするとか言ってみたり、撤回してみたり…と迷走しつつ最後は強行!!(やっぱり…)
現在は高さ規制も強化され、同種の建物を市街地に作るのはもう不可能という、かなりのレアものです。

でも、京都ホテル(オークラ)での披露宴の招待状が届けば、「あぁ、○○さんやったら、そやなぁ…」と思わせるだけのブランド力は健在です。

・京都駅
京都駅建築にあたり巻き起こった論争はあまりにも有名です。59.8mあります。
四条烏丸辺りから南を向くと、はっきり言って「壁」がそびえているようにしか見えません。

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■ 第4の波、屋外広告物規制

屋上看板禁止!赤色・黄色の看板禁止!
点滅式禁止、野立て看板禁止、のぼり旗去! ネオンサインはダメ、ゼッタイ!

昨年8月、7年に及ぶ経過措置が終了し、一段と厳しさを増した屋外広告規制。
マクドナルド「黄色M文字」の真っ赤な背景が、京都では茶色。祇園石段下のローソンは、水色でなく茶色。果ては白黒のセブンイレブンとか(お葬式か!)。
チェーン店の看板の色使いが、京都で異様なことになっているのは皆様ご存じだと思います。

四条河原町交差点を横断するとき、ふと顔を上げて目に入る景観は、この1、2年で大きく変わりました。メディアやネット上の反応を見ていると、この規制を好意的に評価する向きが多かった一方、市民の目線からするとなかなかえげつないものです。
というのも、条例は市内全域で適用なので、観光とは無縁の下町や周辺部も皆一律に規制されたのです。

近所の薬局はトレードマークのゴリラの看板を降ろし、看板業者さんは仕事がなくなって四苦八苦。看板の撤去改修費用が捻出できずに困っている自営業者さんも多いとか。果ては赤い部分を隠すためビニールシートを貼ってみたりと、本末転倒な感じになってるお店もあります、あります。

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■ 論争が好きなのかもしれない…

 デザインがあかん
 市が府があかん
 市民軽視のプロセスがあかん
 京都という町にふさわしくない
 下劣な商業主義のなれの果て
 <VS>
 京都は進取の精神で発展した街
 エッフェル塔を見よ、20年で見方は変わる
 このままでは京都は置いて行かれる
 景観景観…観光客にばかり媚び売って、結局京都の町は誰のもの?

京都に限らず、全国津々浦々、どんな景観論争でも、出てくる意見は似たようなものです。異なる立場間で噛み合った議論を交わすことができず、論争が論争を呼び、挙句は論争自体が目的化。果ては直接の利害関係者でない方も大勢参戦し、立場を異にする人の意見も吟味せず、自分の言いたいことを好き勝手に言いっ放すばかりで、いつまで経っても合意形成ができないまま。

そして、最後の最後は生活のかかった連中が政治とカネで押し通す。
これが日本人の「伝統的な」論争の決着の付け方ではないでしょうか。

そもそも景観とは何で、どのような利益がもたらされるのか。それを保つためにコストを負担するのは誰なのか。観光客に景観税を…などと言えば非難轟々間違いなし。
そやけど、うちらみたいな小さいとこはおしゃれな看板にアレンジして喜ばはる大手さんとは違うさかい、ええんと違う?…かくして京都人は自分の立場を曖昧にしたまま、果てなく続く論争を「またか…」とばかりに眺めているのです。

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