お盆とお家(いえ)とお国の明日は…

お盆休みも終わり、平常営業中の自転車です。
連休中は両親の実家へ行き、祖父・祖母に会い、仏壇に京都のお菓子をお供えし、親戚一同で昼ごはんという、至極まっとうでスタンダード、なおかつトレディショナルな過ごし方をしました。
まぁ、そこで話題になるのは当然、結婚を控えた親類内の若者たちの動向と、相手とその親族に対する噂話ということになります。
でも、そこで改めて家って何でしょう、結婚って何でしょう…っていう原則論にはならないのです。決して見解の統一はされない暗黙の了解?と、触れてはならない話題としてそれらを脇に置き、あいつはどうだ、こいつはどうだ、という憶測と決め付けと押し付けの言いたい放題なのが、一般的な盆正月の茶の間の風景ではないでしょうか。
そもそも、「家制度」は男女平等意識の台頭により1947年の民法改正で一切を廃止。消失しました。戸籍上では、本家分家の違いというものは規定されておらず、遺産相続の上でもその権利の差はありません。実際、結婚すればそれはみな一律に「戸籍を新設」するだけのことなのです。したがって「入籍」という言葉は現実にそぐわないし、「婿養子」も「本家の跡継ぎ」も制度的な観点からすれば、一切の根拠がない。ましてや戸籍に記載される「本籍」というものは検索性を高め人物を照合するための付属情報に過ぎず、いつでも変更可能。また「戸籍の筆頭者」というのも、ただ一番最初に名前が書いてある以外の意味も法的な権限も皆無なシロモノです。(生計を支える義務以前に、生きている必要すらないという!住民票の世帯主とはまったく意味が異なるわけで)
結局、結婚は家と家の問題とは言っても、乱暴に言えば「誰の苗字を引き継ぐか」の話でしかないわけで、とはいえ親は誰が見るとか、仏壇をどこに置くとか、いろいろあるのですが、何なんでしょうね。この法律と現実の乖離は。50年ぐらいの時差があるのかもしれません。
とは言え、逆らうでもなく、安易に流されるでもなく、冷静に見ているつもりなのですが、つくづく、この国のそういう整然と説明できない伝統と慣例と、顔色を伺うあまりにことごとく本質的な議論が抜け落ちるという不思議にため息の一つや二つも出てきます…。いっそどっちの苗字でもない新たな姓を名乗りたい。どちらかを立てるとかじゃなくて、どちらも立てない。いや、どちらも立てる。佐藤さんと古田さんが結婚したら「佐古さん」になりますが何か、というまさかの展開。これいかが?
異常な人口減少と少子高齢化、そして国際化の進む時代。子供が少なきゃ「家」が途絶えるのは致し方ないこと。それこそ、やっと人間社会の実態が法律に追いつくのかもしれません。
つーか、同じ日本人なんだから、これからが大変なこの国なんだから、細かいことは抜きにして仲良くしたほうがいいんじゃ?と言いたくなるのはまだまだケツが青い証拠でしょうか?
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↑写真がなくてすみません^^;

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