仕事と懐とトリビアと

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以前、『仕事とは「仕える事」だ』というような話を聞いた。

上司に仕える。社長に仕える。会社に仕える。お客様に仕える。世の中に仕える。社会に仕える。
仕事は、相手があって初めて成立するものだから、自分本位なだけであってはならない。相手を何らかの形で満足させるものでなければならない。

それはすごく大事で、ごもっともな話で、でも、ついつい忘れてしまうことでもある。

そういえば、以前被災地支援のボランティアに参加した付き合いで、今もたまにセンターの運営の人に会う機会があり、そこでこんな話を聞いた。

先日、ボランティア活動のために集団で遠方からバスで駆けつけたにもかかわらず、台風台風の接近で天候が荒れていたため、マンパワーに対して十分な作業量を確保できなかった。

その日の晩は、運営側への抗議が続いたという。

なぜ作業をさせないのか。悪天候時の作業をなぜ想定しておかなかったのか。せっかく来たのだから、避難所の掃除でもいいから何かないのか。

当然、善意で集まった人たちだから、悪気はない。そこにあるのは純粋な「役に立ちたい」という感情。

しかし、当日作業中止の判断をしたのは現地のボランティアセンターである。

復興支援の長丁場で、休みもなくぶっ続け。雨が降ったときくらいは手を止めたいのである。わざわざ危険を冒す必要もなければ、大体、わざわざ雨の日用の作業など用意はしない。調整もしない。その労力も余裕もない。

結局、ニーズのない現場に、仕事はないのだ。

「役に立ちたい」というのは、あくまで主観であり、相手の立場を鑑みた上での思いとは違う。遠いところからはるばる来たのに、せっかく有給をとったのに、この労力が無駄になるではないか…といくら言った所で、現地の人には関係ないし、何もならない。ボランティアだって、仕事なのだ。

仕事とは、単に労働と引き換えにお金をもらう行為ではない。やはり仕事とは、仕えることで相手を何らかの形で満足させるもの。少なくとも、そのほうが「良い仕事」だと思える。

ちなみに、「仕事」の本当の語源は行動や動作の「す(為)」の活用形としての「し」とのことで、単に「すること」という意味しかないのだそうだ。単にすることでしかないが、それを誰が如何にするかによって大きく意味が変わる。懐の深い言葉だなぁ。

もうひとつ、ボランティアはやはり足りてないようです。瓦礫撤去に現地の人を雇用するから…という話が出てますが、全員を雇用できるわけもないし、できたとしてもやっぱり人手は足りません。雨で何もできなくても、「来てくれた」事実だけで力が湧くとも。社長、私にボランティア休暇をください叫びなんて。

さぁさ、仕事しよ、仕事。

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