被災地ボランティアに行きました(陸前高田市)

大量に流れ着いた木屑を掻き分けると、ヘドロにまみれた幾つもの生活の「かけら」に出遭った。

茶碗、コップ、アイロン、漁網、帳簿、写真、印鑑、ノート、漬物、ドレッシング、買い物袋、蛍光管、椅子、熱帯魚の水槽…
ガスボンベ、、トラックの荷台、、立派な柱や梁、車のバンパー、ガードレール、油のタンク…

すべてがごちゃ混ぜになって流されてきた。同じ場所にあるはずのないものが、折り重なって打ち捨てられていた。

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海岸の松の木、大きな石、鳥の死骸、厚く積もる泥と砂…

人間が作ったものだけではない。津波は、そこにある「ありとあらゆるもの」を流し去った。

60人で丸2日間片付けたって、たったの水田4枚分。

作業後、区長さんは「なんと言ったらいいか…言葉になりません。このご恩は一生忘れません。」そう言って、深く頭を下げた。横に並んだ地区の住民の方は泣いていた。
まだ乏しい物資をどこからかかき集め、ジュースを持っていけ、浅漬けを食べてくれ、飴を、タオルを、お酒を…これぐらいしかおもてなしができないんだ、と。すまないと。

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私たちが、遠く離れた地で居ながらにしてできることは確かに限られています。
しかし、できるなら一人でも多くの方に、たとえわずかな時間であっても、現地を訪ねてほしいと思います。公有地はいずれ公費で重機が入ります。しかし、民有地は自力での片付けが原則です。土に埋もれた細かい漂流物は、重機では取り除けません。柱にこびりついた泥を落とすのも、人の手なのです。その『感触』を、手にとることが大切だと思いました。

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↑片付け完了 

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↑しかし、すぐ横には手付かずの土地が延々広がる

 

訓練を受けていない民間人が入って何ができると躊躇される向きもあるかもしれません。でも、現に、そんな人が大勢入って、ともに汗を流しています。横浜、福井、愛媛、熊本、香港からも、欧州からも。地球上のあらゆるところから、人々は労を惜しむことなく、足を運んでいました。

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↑7万本の松原の中、たった一本だけ残った。(電柱の右奥)

今、この局面をいかに乗り越えていくのか。その姿勢や事実が、次の災害や障害を乗り越える力となっていきます。この地球で暮らす以上、どこでいつ被災者になるかわからない。だからこそ、支えあうことを習慣として根付かせていきたい。少なくとも自分は、先陣切って一肌脱げる人間でありたい。

岩手県生まれの宮沢賢治は、生前こんなことを語っています。

「自分ひとりだけの幸せなんて、ないんだ。本当の幸せというは、周りのみんなが幸せになって初めて、感じられるものなんだ。」

この経済的苦境の最中では、単なる左翼思想の戯言と切り捨てられそうですが、やはり、人は助け合う生き物です。「助け合いたい」という遺伝子を持った存在です。しかし一方で、時間が経ち、たくさんの言葉が溢れ、人が動くことで、どうしてもノイズは混じってきます。芸能人の炊き出しには売名行為、ボランティアには暇人、原発は国と東電「だけ」のせい。経済への悪影響を阻止せよ。旅行を、消費を…一概に間違っているとも言い切れないのも辛いところですが。

日本は強くなる。日本はひとつになる。日本は必ず元通りになる。

あれからあちこちで勇ましいスローガンが飛び交ってますが、「強さ」って何でしょうか。「ひとつ」って、どういうことでしょうか。「元通り」で、いいのでしょうか。

いろいろ考え出したらきりがない。そんなときこそ、手を動かすこと、汗を流すことに価値があると思いました。私は、悔しかった。泥まみれの結婚式の写真を見て。「そら」ちゃんの乳歯を見て。たくさんの人の暮らしの「かけら」を見て。生活の、存在の証を見て。その現実を、受け入れきっていないようなこの国を見て。

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↑東北は、桜が満開でした。(花巻市内)

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