知られざる十二単

今年の京都は11月に入っても気温が下がらず、ご近所さんと「暑いですねぇ」などとと話していましたら、半ば以降は一転。すっきり晴れる日も少なく、真冬のような気候になってしまいました。

さて、12月。
今年はメルマガ発行月の数字にちなんだ題材でお届けしましたが、最後は言わずと知れた平安装束「十二単(じゅうにひとえ)」のお話しです。

□京都の着倒れ

「京都は着倒れ、大阪は食い倒れ」などと聞いたことのある関西人は多いと思います。
これは京都があまりに寒いので、十二単よろしく衣服を重ねに重ねて着ぶくれし、しまいに転倒する人が続出、という意味では全くなく(笑)、着るものに財産をつぎ込みすぎて家計が傾く、ということです。

ただ、価値観の多様化が進んだ現代の実感としては乏しいもので、みすぼらしい格好をした市民だって大勢いるわけです(私のように…苦笑)。
実際、2016年の県庁所在地における家計の被服への支出金額、京都は全国25位で、平均以下ですから「着倒れの街」の名が泣きます。

しかし、これはおそらく他県から来られる皆さんは感じると思いますが、ご婦人方、特に年配の方には、綺麗な身なりをなさっている方がとても多いです。

バスでも地下鉄でも、色も鮮やかなカーディガンを召されたり、髪を丁寧に整えられていたり、そしてなにより着物の方に出会う確率が高くて、「おっ!」と思う事が多いです。

若い方が姿格好を気にして綺麗にしているのは世界中どこでも一緒ですが、年配の方のそれとなると、やはり、他の街とは違った風情というか、同調圧力というか、独特な空気を感じ取ってしまうところです。

ともあれ、ハレの日には、ピシッと服装で線を引く。とびきりの一張羅を受け継いで、何度も直して大切に使い継ぐ。
そして大事な時には、大枚をはたくことを惜しまない。

それが「京都の着倒れ」の本質ですが、古都と言えども例外なくZARAやユニクロ、しまむらが市中に幾つも店を構える時代。最早こうした風習を受け継ぐ家ばかりではなく、限られた世界の話になりつつあるのかもしれません。

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□言葉だけで、実はよくわかっていない十二単

話を十二単に戻しましょう。

十二単は「平安装束」にカテゴライズされる衣装ですが、平安時代はもう千年も前の話。
当時の衣装は、麻や絹などの天然繊維のみで作られているわけで、建物や器などの道具に比べると劣化が激しく、ほぼ現存していません。

従って、いま時代まつり行列などで目にする平安時代をイメージした装束類のほとんどはレプリカです。
また、いかに考証を経ていても、その多くは『源氏物語絵巻』などの絵画などを資料とし、見えない部分などの多くは想像も含めて作られています。

そもそも、今回のテーマ「十二単」という言葉も曖昧なものでして、あの重ね着の衣装、正式には「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」と言うそうです。

舌を噛みそうな名前ですが、最も格式が高い装束であり、現代でも皇族の結婚や即位等の儀式の際、また公家や華族をルーツに持つ旧家では結婚などの行事の際に用いられているようです。

なお、皇室では、「十二単」という言葉は用いません。
内実、12枚の衣を重ねる決まりがあるわけでもありませんし、あくまで「そのくらい沢山の衣を重ねる」という、俗語のようなものです。

実際に着重ねるものとしては、上から唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ) ・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)…と、たったの5枚です。

ただ、五衣などは布が5枚ほど重なったようなデザインで、その色の重なりなどに趣向が凝らされており、また選び方のセンスを競っていたようです。
組み合わせのパターンは無数にあり、好まれる色、禁忌の色など暗黙のルールも多数存在しているのだとか。繊細というか、やたら細かいというか…。

ちなみに、裳や長袴などの下半身に身に着けるものも全て足すと、その重量は20kgにも及ぶという壮大な衣装であり、まさに平安装束の持つ美の真骨頂です。

□「装束(しょうぞく)」と「着物」

その違い、分かりますか?
辞書の意味では、装束は、特別な目的のために仕立てられたひと揃いの衣類、対して着物は「和服」、日本の伝統的な衣装全般を指しています。

ここでは、前者を宮中の正装、後者を庶民の普段着として捉えて比べてみます。

男性の場合、雛人形のお内裏様や、神社の神主さんをイメージするとピンとくると思いますが、前合わせの「着物」に比べると、平安時代の「装束」はまた随分と形が違います。

これは、公家や貴族の文化が、中国(唐)の影響を受けて発展してきたことに起因します。

平安時代と一口に言っても長く、中期以降は「国風文化」と言われ、大陸伝来の文化に日本独自のアレンジを加えていく流れが盛んになったようではありますが、やはり束帯(そくたい)や狩衣(かりぎぬ)といった今でも着られている「装束」のフォルムには、どことなく大陸風というか、日本っぽくない、見慣れていない感じがします。

それに比べ、いま和服としてイメージする前合わせの、いわゆる「着物」は、直垂(ひたたれ)という、古くは古墳時代から続く庶民の平服から発展してきています。
主に武家の衣装として親しまれてきましたが、彼らは公家に比べると低い身分であったために、あくまで庶民の服の延長線上。平安装束と比べれば質素な出で立ちです。

もちろん、武家が支配階級として君臨してくる途上で、直垂も公的な衣装としての体裁や格式を整え今日に至りますが、もし武士による長い支配の時代がなければ、今日の「和服」の姿は、大きく違っていたかもしれませんね。

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さて、十二単は、少し前まで、身分の高い女性だけが着用を許され、かつ公の場での晴れの衣装とされていましたが、今は貸衣装屋さんがメニューに加えるケースも多く、庶民でも、何でもない日でも、着られます。

京都では、着物体験を商っているところも多いので、検索すればいくらでも出てきます。
市内各所の名所、二条城や平安神宮では結婚式を挙げられるので、そのオプションとして宣伝されているケースもあります。

ただ、この衣装の持つ格式や記号的・物理的な「重さ」を考えると、このように扱うこと自体が良いのかどうか、何とも言えない気持ちにはなります。

□十二単を着るっ!

…とか言っておきながら、着てしまうのかよ!
という展開ですが。

はい、私は男性ですから、それは叶わないのですよ。
しかし。
女性なら、大枚はたいて、がっつりメイクの撮影会なんて大掛かりなことをせずに、羽織らせてもらう位のことは、気軽にできます。

まずは「二条城」。
市民新聞をまめにチェックしていると、着装体験、あります。
年に1、2回です。先着順ですし、そもそも市民新聞の時点で、住んでいる方以外は難しいですが、なんと無料です。

つづいて、「西陣織会館」。
京都の着物産業を発信する中心的施設で、最近は外国人観光客でにぎわっていますが、破格の1万円強で着付け体験ができます。

少し前は、いくつか常設で衣装に触れたり、簡単に羽織ったりできるところがあったようなのですが、元来値打ちのあるものですので、難しいものです。

平安装束という観点で見ると、「京都アスニー」には、平安京を学べる「京都市平安京創生館」なる展示スペースがあり、そこでは平安貴族の平服「袿(うちき・女性用)」「狩衣(かりぎぬ・男性用)」を来て記念撮影できるコーナーがあります。

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現代では、着物や装束などの「日本人の民族衣装」を着たり、見たりする機会は、冠婚葬祭や伝統芸能の世界に限られてしまい、その意味や歴史を知る人も少なくなってしまったのが実情ではないでしょうか。

しかし、京都の街では、今日も多くの外国人観光客が色とりどりの着物を着て街に繰り出しています。そして、その衣装に込められた色彩のセンスや美意識に興味を持っています。

先人たちが遺してきた膨大な蓄積を改めて受け継ぎ、自分の言葉で説明できるようになっておきたいと思う、今日この頃です。

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