八ツ橋のはなし

いま、「八ツ橋」と言えば、京都土産の代名詞と言っても過言ではありません。

京都駅や清水寺辺りの土産物屋では、これでもかと言わんばかりに大小さまざまなパッケージが溢れており、何を買ったらいいか分からんうちに試食が配られ、あれよあれよと口の中が限定フレーバで満たされ、断り切れずにお買い上げ…
という流れは、もはや「京都観光の代表場面」とでも言えましょうか。

一方で、これほど強烈な京都ブランドを持つ商品にもかかわらず、京都市民には日常あまり食られべていないのが実情です。
そもそもそ和菓子屋さんが豊富な京都で、何ゆえに八ツ橋がそこまでお土産として幅を利かせるに至ったのか。

歴史を紐解いてゆくと、八ツ橋が持つ独特の「京都土産・成り上がり物語」が見えてきます。

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□八ツ橋の源流と聖護院

今から300年余り前の話です。
聖護院(しょうごいん)の金戒光明寺に至る参道の茶屋で、箏(こと)の形で焼かれた煎餅菓子が出されました。

いま「焼き八ツ橋」と言われるそのお菓子が、後に京都土産の一大勢力を誇りますが、それは200年後の明治に入ってから。
当時は、今でも日本中のどこでも見られるような、お寺の参詣客に親しまれる、何の変哲もない素朴なお茶菓子の一つだったのではないでしょうか。

平安神宮の北側にあたる左京区・聖護院地域は、聖護院大根などの京野菜発祥の地としても耳にしたことのある地名だと思います。

当時は広大な寺の境内に、うっそうとした森が茂っていたようですが、現在は学生マンションと戸建て住宅がひしめく風景があるにすぎません。
しかし今もこの界隈には、元祖や本家を謳う「聖護院八ツ橋」さんや「西尾八ツ橋」さんをはじめ、八ツ橋メーカーの過半が集中しています。

□駅売りが人気の火付け役

八ツ橋が京都土産としての地位を確固たるものにしたきっかけは、明治時代の鉄道の開通でした。

京都駅の土産屋に並んだ焼き八ツ橋は、日持ちがして丈夫で小さく、当時のお土産として求められる機能を存分に満たした品であり、飛ぶように売れたそうです。

そもそも、鉄道という大量輸送機関の登場で、人々が土地を離れ街を超え、活発に移動を始めたのがこの頃からで、行った先の土地の名物を持って帰って配る、いわゆる「お土産という文化」が一般に浸透したのも同様です。

そして、京都の八ツ橋だけでなく、例えば岡山の吉備団子、伊勢の赤福、静岡の安倍川餅など、日本各地の土着のお菓子が、次々にお土産品として大量生産体制に入っていきます。

□その形、名前の由来

八橋検校(やつはしけんぎょう)を知っていますか?
筝曲の父とも言われる検校は、江戸時代に活動した箏奏者兼、作曲家でした。

没後、金戒光明寺に葬られた検校の墓参に訪れた人向けに出したお菓子が、前述の焼き八ツ橋であり、箏を表すその形も、八ツ橋という名前も、検校にちなんだものとされています。

平成に入り、義務教育でも和楽器が取り入れられた今の30代以下の方は、検校の名と楽曲を音楽の授業で耳にした方も多いのではないでしょうか。
もしかしたら、余談としてお菓子の八ツ橋の話も、あったかもしれませんね。

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□八ツ橋百花繚乱

八ツ橋300年の歴史の中では、長らく「焼き」の八ツ橋しかありませんでした。
それもそのはず、焼き八ツ橋の持つ細長く湾曲した「箏の形」こそが、八ツ橋の名の由来を表現しているわけで、それは今も変わりません。

昭和30年代に入ると、満を持して?「生八ツ橋」が登場します。
はじめは、生の生地に餡を巻いたロール状のお菓子が出てきて、徐々に今の主流の三角形も作られるようになり、現在も有名な「おたべ」は、昭和41年の発売です。

京都は千年の都とか言われますけど、焼き八つ橋は300年、生八ツ橋はついこの半世紀の話に過ぎません。

批判する意図はありませんが、京都での歴史や伝統を語られるには、いささか新興のお菓子という風情は禁じえません。というか、一つの確立された商法というか。
そういうこと言い出すと、八ッ橋などかなり正統な方で、もう全く歴史も何もあったもんじゃないけど、そういう風を装う商品や店屋なんかは一杯あります。
そういうの、京都人は割と敏感に感じ取るものであり、そしてあまり好きではない、とは言っておきたい。

ともかく、真空パック技術の発明で日持ちもするようになったし、生地や餡にいろんな味を加えて変化を楽しめるし、柔らかい方が食べやすい。
技術の進歩や時代のニーズとともに、八ツ橋も発展してきたのには間違いありません。

最近だと、チョコやバナナ、夏ならマンゴーにラムネ味、挙句の果てには唐辛子と、もう何でもありの様相です。
大人の男性の感覚からするとちょっと顔をしかめてしまいそうですが、修学旅行生の需要も多いでしょうからね。
多世代の心を掴むべく、あの手この手です。

かくして八ツ橋は京都の一大地場産業に発展し、今では総勢14社が集まる組合が設立されるほどのスケールとなっています。

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□意外にも、市民の口にはあまり入らない

京都の中でも限られた場所で出されていたローカルなお菓子が、鉄道という大量輸送機関の登場で沢山の人々が移動を始めた暁に、土産物文化の発展の波に乗って、知名度を増していった。

常に京都の外へ向かう人の方を見て発展してきたこのお菓子の歴史を辿れば、「市民生活に馴染みが浅い理由」は、言わずもがなだと思います。

結局、市民のお茶請けは、今も昔も「おまんやさん(近所の庶民的な和菓子屋さん)」で買う季節のお菓子です。安くて、おいしい。けど、日持ちはしない。

それと、なんというか、メジャーなもの、あまりにも有名で、簡単に手に入るものを人様に出したり、自分で買って食べたりするのは、どうも格好がつかない、という意識もどこかであります。

結局、八ツ橋はどこまでも観光客のための商品であり、皆八ツ橋の何を買ってるんだと言えば、京都へ行ってきたという「記号」「証」「体験」という付加価値なのであって、故に上乗せされるプレミアムを目ざとく感じ取ってしまう京都の人が惹かれないのは自然ではあります。

そして、ある意味では、観光客に愛されるという道を選び、特化し、徹底してその記号的価値を極め、磨いてきた八ツ橋の生存戦略に恐れ入るばかりです。

とどのつまり、京都人は「京都であること」に金を払いたがらない習性を持つ、ということで、今回の結論です。

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余談ながら、いち市民の私が、ごくたまーーに八ツ橋が食べたいと思ったときは、ライフとかマツモトなどと言う、大きめのスーパーの「ヤマザキ製パンのみたらし団子」なんかが並んでいる棚あたりにちょこんと置いてある、パック入りの餡無し八ツ橋を買ってきます。

シート状の生地が袋にぎっしり入って、簡素な包装で200円くらいなんですけど、これが質実剛健で実に良いです。
オーブンで焼くと、ちゃんと(?)焼き八ツ橋になりますし。
勝手に箏の形になるように湾曲したりはしませんけど。

京都へ行ってきた感は薄いけど、あまりにも賑やかなお土産売り場と販売攻勢にちょっと食傷気味な向きは、自分用にご検討下さい。

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