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京都の真ん中で正月を迎える

早いもので、今年もあと10日あまりとなりました。
京都はここのところ午後になると毎日時雨模様で、いよいよ冬本番です。
 
さて、年末年始も観光の方が多い京都ですが、今号は住民の視点から、年末年始の京都をスケッチしてみましょう。あくまで洛中に住まうイチ個人の独断と偏見でしかありませんので、そこは悪しからず…。
 
 
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■除夜の鐘

煩悩の数を表すという108の鐘をつく年越しの恒例行事。
京都はお寺さんが多いので、大みそかに東山界隈を歩けば、それはもう方々で鳴り響いております。
 
中でも印象的なのは知恩院。
もともと日本最大級のこちらの鐘は主さ高さ3.3メートル、直径2.7メートルで重さが70トンという超弩級。このスケールでは最早普通についても鳴らないので、勢いをつけた僧侶が全体重を撞木(鐘を突く木柱)に預け、仰向けにぶら下がるようにしてブッ飛んでいくという何ともダイナミックな鐘つきを披露しております。鐘の周りは、17名もの僧侶が読経をしながら取り囲み、列をなす幾重もの見物客の人いきれで寒さも忘れられること請け合いです。
しかし、いつも気になっているのですが、この鐘つき、一体いつ、何処で練習しているのでしょうか。
 
特殊技能(!)を要する知恩院は無理ですが、一般の参拝者に鐘をつかせてくれるところもあります。
多くは12月の頭から整理券が配られるなど、事前準備が要りますが、真如堂や方広寺などは先着順、法然院や相国寺などに至っては人数制限なし(つき放題?)なのだそうです。確かに、現代人は何かと煩悩が多そうですからね。
 

■八坂さんのおけら参り

テレビなどで、縄に着いた火をくるくる回してそぞろ歩いている画を見たことのある方も多いのではないでしょうか。
京都では、八坂神社のおけら灯篭の御神火を火縄(吉兆縄)に受けて持ち帰り、神棚のろうそくの火としたり、かまどの種火として雑煮を炊くと良い一年が送れるといういわれがあり、この一連の行為を指して「おけら参り」と称します。
しかし、マンション住まいの家庭が増え、IHコンロ全盛のいまでは、それもなかなか難しいかもしれません。
 
実は、このおけら参り、大正時代くらいまでは悪口祭の別名もあったほど、一年の鬱憤を晴らすために悪口を言い合うのが無礼講とされていた、という話があります。
 
というのも、そもそも種火をもらって家まで帰って来られるのは徒歩圏内の方に限られるわけで(火を点けたまま電車やバスに乗れるわけがないですね)となると、おけら参りをされる方々というのは、ちょうど祇園祭の鉾町あたりに住む町衆が中心となるわけです(彼らは八坂さんの氏子なわけですから、当然)。
 
祇園祭の山鉾も、まぁ元はと言えば町対抗の見栄の張り合い。おけら参りへの道すがらも、隣町に抜かれまいと急ぐ道中、あることないこと言い合って対抗意識を燃やしつつ、その掛け合いを楽しんでいたのではないでしょうか。
 

■初詣ついでに干支にちなむ場所

お寺で除夜の鐘をついた後、すぐに神社へ向かい、そして中国起源の干支にちなんだ縁起もんを探す日本人。
改めて年越しにやっていることを振り返ると、なんだかものすごく滑稽な気がしてきましたが続けます。
来年は午(馬)年ですから、馬に縁の深い場所を北から南へ探してみましょう。
 
・貴船神社
貴船神社は、水で占うおみくじとか、縁結びがどうのとか色々ありますが、絵馬発祥の地としても知られています。
生きた馬を納めるのが大変(納められる方も大変)だったので、代わりに「板立馬(=画家に書かせた馬の絵板)」をこちらに奉納するようになったのが絵馬のルーツだそうです。
 
・下鴨神社
午に限らないのですが、下鴨神社は広い境内に干支ごとの社があります。
今年の干支と、自分の干支の社を探して、お参りしてみましょう。
 
・藤森神社
5月5日に「駈馬(かけうま)神事」が行われる藤森神社は、境内の像やおみくじ、狛犬の台座まで馬、馬、馬のオンパレード。勝運と馬の神様として知られています。その影響で、馬主や騎手、競馬ファンなどがよく参拝に訪れるとか。
 
・京都競馬場
新年1月5日の名物レース、京都金杯で今年も開幕です。聞いてないって!?
 

■そもそも正月って?

人々に実りをもたらしてくれる「歳神様(としがみさま)」という神様が家にやって来て、お祝いするその時が「正月」ですよ、というのはご存知の通り。
 
昔の人は、今と違って予期せぬ天災にお上の暴政と、自分の力ではどうにもならないことが多かったため(いやいやいや、現代も全然変わっていませんね)、信仰心が篤くならざるを得なかったというのもあるかも。
ともかく、歳神様をお迎えするために、年末は一生懸命家を掃除し、門松としめ飾りで「ここが我が家ですよ!」と目印をつけ、せっかく招いた歳神様を「お・も・て・な・し」するために鏡餅を用意し、餅には歳神様が宿るからそれを「歳玉(としだま)」と呼び、親は子供の健康を願ってそれを食べさせたのが「お年玉」の本来の姿…っちゅーわけで。
 
そんな歳神様をお迎えするとあっちゃ、寝てたら失礼だということで、「元旦」は徹夜で迎えて。
さすがにそれでは体がもたんので、氏神様に無事(数え)歳を取ったことを報告したら「寝正月」。
昼過ぎにもぞもぞ起き出しても、正月はどの道どこもやってませんので保存食でもある「おせち」をいただく。
 
そこまで押さえれば、すべてが繋がる。どこまでも理にかなった、日本のお正月の姿です。
 
いやーーーー結局、色々調べれば調べるほど、知らないことだらけでした!
いったい何年日本人やってんだと、ご先祖様にお叱りを受けそうです(懺悔)
 
 
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「明けましておめでとうございます。」
 
いつもこの国のこの挨拶には、新たな年を無事に迎えられた喜びと、神仏への感謝の気持ちが込められていました。
ところが最近は、どこまでも商業・経済が幅を利かせる世の中で、元日営業も当たり前。働く者あれば、留守にする家あり。歳神様は、この国の、こんな様子をどう感じていらっしゃるのでしょう。
 
だからこそ、年末年始にあえて京都に来ていただく必要はないのではないかと、私は思います。
 
皆様、本年もお付き合いいただきましてありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
 

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